術後点眼はいつまで?
(2021/8/18)
 愛知県の一宮市立市民病院眼科では、白内障手術後の内服薬と点眼薬について、次のように説明しています(一宮市立市民病院眼科日帰り手術院外処方運用について)。
名称 種類 目的 期間
クラビット点眼液0.5% 抗生物質 感染予防 1ヶ月
リンデロン点眼液0.1% ステロイド剤 術後炎症の発生予防 1ヶ月
ジクロード点眼液0.1% 非ステロイド剤 嚢胞様黄斑浮腫発生予防 2~3ヶ月
セフカペンピボキシル
塩酸塩錠内服
抗生物質 感染予防 3~5日
ポンタールカプセル内服 鎮痛剤 痛み止め 1日3回まで
 一般的には、抗生物質の内服薬が処方されることは、あまりないようです。
 一方、点眼薬は、どの眼科医院でも、抗生物質、ステロイド性抗炎症剤、非ステロイド性抗炎症剤の3種類が処方されます。それぞれ、1日4回点眼します。
 なお、抗生物質の内服については、次のような報告もあります(白内障屈折矯正手術学会に参加してきました | こいけ眼科のお知らせ )。
眼内炎対策:術後抗生剤内服は欧米ではされておらず、有効性が低い可能性を報告されておられました。手術中に希釈イソジンをかける、また還流液に入れることを報告されていました。当院では、イソジンは強いと考えており、還流液内に抗菌剤をいれて、手術開始前、終了時に抗菌点眼で洗い流しています。
また、万一の眼内炎発症時には、複数の抗菌剤の硝子体注射が、有効とおっしゃっていて、さっそく準備することにしました。
 
点眼は3ヶ月も必要?
 点眼の期間については、次のような説明があります(術後点眼薬はいつまで | 伊丹市の眼科|宮の前眼科)。
 基本的に、術後点眼薬の期間は、最近は1か月そこそこで終了ということがほとんどです。
 白内障手術は、世界的にも手術件数はとても多いですが、術後点眼薬の期間は様々です。
 日本白内障手術学会の統計のまとめを最近入手しましたが、日本における術後点眼期間の最も多い期間は、やはり約1か月。
 ただし米国などでは、1〜2週間と短期間のところも珍しくありませんし、無しといった施設もありました。
 自分が受けるとしたら、さすがに無しは気持ちが悪いですが、不必要に長すぎるのは、耐性菌を作ったり、眼圧を上げたりといった副作用が心配になる場合もあります。
 ですが、黄斑浮腫を起こさせないための、非ステロイド系消炎点眼薬は、長目が良いともいわれています。
 個人的には、1ヶ月でも長い感じがしますが、次のように、3ヶ月必要とする医院も数多くあります。
「術後の点眼薬は術後の炎症をおさえ、傷口を細菌感染から守るために大変重要な薬で、最低約3ヶ月必要です」(おおや眼科クリニック
「基本的には3カ月は毎日しっかり点眼」(白内障治療専門サイト アイケアクリニック) 
「基本的に1ヵ月半から3ヵ月くらい」(森井眼科
「手術後2か月」(岡山市北区の眼科−小山眼科医院
「手術後の点眼薬は2-3ヶ月使用」(表参道眼科マニア
「通常は術後2〜3ヶ月程度」(中島眼科
 しかし、本当に3ヶ月も必要なのでしょうか。3種類の点眼薬のそれぞれについて、以下に検討してみます。

時間単位で新しい細胞が生まれる
 まず、感染予防で処方される抗生物質について、考えて見ます。
 白内障手術では、角膜の2箇所に小さな切れ目を入れます。そして、傷口を縫合せずに手術が終わります。となると、傷口から細菌が侵入しないか気になります。
 角膜は、上皮、実質、内皮によって構成されています(18.角膜の病気|目と健康シリーズ|三和化学研究所)。白内障手術では、切れ目は、黒目と白目の境目辺りに入れます。物を見るのは、黒目の中心部ですから、周辺部に切れ目を入れても特に影響はないものと思われます。

 角膜上皮は、「皮膚をもたない角膜を守るバリアとして働いています。また外気から直接酸素を取り入れ、血液が通っていない角膜の細胞に供給しています。細胞同士が涙も通さないほどしっかりと組み合わさっていて、異物の侵入をブロックしています(18.角膜の病気|目と健康シリーズ|三和化学研究所)」ということですから、細菌の侵入から組織をがっちりと守っているようです。

 「角膜上皮の特徴は、時間単位で新しい細胞が生まれ、時間単位で古い細胞が表面から脱落していくという非常に活発な新陳代謝があります(角膜の構造と修復のメカニズム|参天製薬)」ということですから、手術後しばらくすれば、切れ目の入った角膜上皮は新しい組織に置き換えられてしまうことになります。
 角膜上皮の新陳代謝の仕組みは次のようなものであると考えられています(角膜上皮幹細胞移植 - J-Stage)。黒目の周辺部(角膜輪部)にある幹細胞から増殖した細胞が中央へ移動し、はげ落ちた上皮細胞に置き換わります。


1ヶ月経てば打撲にも耐えるようになる?
 一方、角膜実質は、「細胞がとても少ないことにより、傷の治りが遅い、創傷治癒が大変遅いという特徴があります」ということですし、角膜内皮は「生体内では増殖しません。その細胞数は加齢に伴い減少する一方です。角膜内皮に障害が及ぶと、内皮細胞は細胞の性質を変え、細胞一つ一つが大きくなることで傷を防ぐ作用を持っています。少々の角膜の傷・欠損・角膜内皮の欠損であれば、周りからきれいに細胞が埋めてくれます」ということです(角膜の構造と修復のメカニズム|参天製薬)。
 このように、「創傷治癒が大変遅い」ということは分かったのですが、ではどれぐらいの期間がかかるのかというと、ネット上では具体的な情報は見つかりません。
 ただ、「砂ぼこりなどで目が汚れる可能性がある競技や、目を打撲する可能性がある競技は、1か月は控えてください(7.仕事・運動はいつからできますか? | 公益社団法人 日本眼科医会)」ということですから、1ヶ月経てば打撲にも耐えうるまで十分修復するといえそうです。

科学的根拠はないが、行う方が良い?
 一方、手術当日には角膜上皮が新しくなりますから、細菌の感染を防ぐための修復は完了していることになります。
 では、抗生物質は何のために点眼するのでしょうか。
 手術の際に細菌が侵入するからでしょうか。手術の際には、器具は滅菌してるはずですし、還流液には抗菌剤を入れてるはずです。細菌が侵入するとすれば、医療ミスというほかありません。
 また、手術の後には眼帯をして、細菌が入らないようにし、しばらくは洗顔も控えるように指示されます。角膜上皮が修復するまでに、細菌が侵入する可能性は、かなり低いと思われます。
 それでも、細菌が侵入する可能性が皆無とはいえないから、念のため抗生物質を予防的に投与しておくという考え方もあります。
 しかし、抗生物質には耐性菌が生じるという重大な副作用があります(抗生物質の乱用が招く「耐性菌」の脅威って?)。
 日本化学療法学会/日本外科感染症学会が作成した術後感染予防抗菌薬適正使用のための実践ガイドラインでは、「脳神経外科および眼科領域における勧告は,関連学会からのコメントに従い今回見送ることとした」ということですが、公益社団法人日本化学療法学会は、脳神経外科および眼科領域についても、日本化学療法学会雑誌 Vol. 68, 2020年3号(5月)p.310〜320で
術後感染予防抗菌薬適正使用のための実践ガイドライン(追補版)を公表しています( 公益社団法人日本化学療法学会)。
 この追補版でも、眼科領域の術後点眼については、「未だその適応や投与期間に関するコンセンサスが得られておらず,勧告は行わない方針」となっています。
 一方、術前投与については、次のように勧告しています。
 そこでは、水晶体再建術(白内障手術)でリスク要因がない場合の推奨グレード/エビデンスレベルは、C2-Vとなっています。

 推奨グレード、エビデンスレベルとは、次のようなものです。
 つまり、C2-Vとは、「専門家が十分に検討した結果、科学的根拠がなく、行わない方が良いと判断した」ということであると解されます。

 ただし、術前投与の具体的な内容については、「予防抗菌薬の全身投与は必ずしも必要ではない(点眼による局所投与のみ)」としています。
 白内障手術を受けるときは、手術の3~4日前から手術の前日まで、抗生物質を1日4回点眼するよう指示されます。これが、術前投与というものです。
 感染予防なら抗生物質を点眼すれば良いので、全身投与(内服薬の処方)がされることはないようです。「予防抗菌薬の全身投与は必ずしも必要ではない」というのは、この当然のことを言っているわけです。
 では、「点眼による局所投与のみ」とはどういう意味なのでしょうか。「全身投与は必ずしも必要ではないが、点眼のみなら必要」ということでしょうか。
 しかし、推奨グレードC2は「行わない方が良い=必要ない」ということですから、「必要がある」というなら推奨グレードC1になってしまいます。
 そもそも、推奨グレードC1の「科学的根拠がないが、行う方が良い」というのもおかしな内容です。
 いずれにしても、抗生物質の術後点眼については、日本化学療法学会は、いまだ判断は下していませんが、ドイツでは大規模病院で行われた臨床試験の結果を受けて、2011年に次のような提案がなされています(術後の院内感染眼内炎に対する周術期抗菌薬予防投与は推奨されるか? 単一施設の経験)。
白内障手術後の感染性合併症を最小限に抑えるために、セフロキシムの前房内投与および周術期レボフロキサシン点眼は不要と考えられる。したがって、欧州白内障・屈折手術学会(European Society of Cataract and Refractive Surgery;ESCRS)ガイドライン(周術期抗菌薬投与を必須としている)を再考し、白内障手術後の感染症を予防するための効果的な代替レジメンを認めることを提案する。

ジクロードだけで十分?
 「科学的根拠(evidence)に基づく白内障診療ガイドラインの策定に関する研究」では、術後点眼について次のように勧告しています(「科学的根拠(evidence)に基づく白内障診療ガイドラインの策定に関する研究」厚生科学研究補助金(21世紀型医療開拓推進研究事業:EBM分野) )。
◎術後炎症の発生予防にステロイドの使用が推奨される(グレードB)。
◎術後炎症・黄斑浮腫の発生予防にジクロフェナックナトリウムの使用が推奨される(グレードB)。
◎術後炎症の発生予防にブロモフェナックナトリウムの使用が推奨される(グレードB)。
 ジクロフェナックナトリウムとブロモフェナックナトリウムは、非ステロイド性抗炎症点眼薬です。
 点眼の目的は、術後炎症・黄斑浮腫の発生予防ですが、「ジクロフェナックナトリウムの術後点眼はステロイド点眼と同様に術後炎症を抑え」「術後黄斑浮腫はジクロフェナックナトリウムを使用したほうが発生頻度が低い」ということですから、 術後炎症予防については、ジクロード(ジクロフェナックナトリウム)は、ステロイド性抗炎症剤と同様の効果があり、黄斑浮腫予防については、ジクロードの方が、より有効ということになります。
 術後炎症については、「手術後角膜が腫れたり、眼圧が上がってしばらく見えにくい場合があります。」という説明もありますが(白内障手術について|白内障の診療|中部眼科)、眼圧上昇という副作用の危険があるステロイドを、術後炎症予防に使うのは矛盾しているようにも思えます。
 そもそも、「科学的根拠(evidence)に基づく白内障診療ガイドラインの策定に関する研究」では、ステロイド性抗炎症剤と非ステロイド性抗炎症点眼薬を併用することは、勧告していないのですから、ジクロードだけを点眼しておけば、良いようにも思われます。

治療薬として効果があるかどうかは不透明
 科学的根拠(evidence)に基づく白内障診療ガイドラインの策定に関する研究によると、主な術後合併症の発生割合は次のようになっています。いずれも、かなり以前(1993〜1999年)の海外文献のデータです。眼圧上昇に、粘弾剤残存やステロイドの影響を含むかは不明です。

1994年 1993、1994、1999年
後発白内障 19.7% 19.20%
嚢胞様黄斑浮腫 5% 0.05-3.21%
眼圧上昇 1.4% 1.53-7.9%
 術後合併症の発生率は、後発白内障が圧倒的に高く、次いで、嚢胞様黄斑浮腫となっています。
 嚢胞様黄斑浮腫については、次のような説明があります(白内障手術後の嚢胞様黄斑浮腫治療としての非ステロイド性抗炎症薬)。
嚢胞様黄斑浮腫(CMO)は、拡張した毛細血管からの漏出に起因する中心網膜(黄斑部)の液体貯留である。白内障手術後の不良な視力アウトカムの最大の原因である。正確な原因は不明である。4か月間未満持続する浮腫と定義される急性CMOはしばしば自然に回復する。4か月間以上持続するCMOは慢性CMOと呼ばれている。CMOの治療には様々な種類の非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)が使用されており、これは局所的にも全身的にも投与される。
 嚢胞様黄斑浮腫の治療には、非ステロイド性抗炎症薬が使われますが、その効果について、この研究の筆者は、「急性および慢性CMOにおけるNSAIDの効果は依然として不透明であり、さらなる研究が必要である。」と述べています。
 つまり、非ステロイド性抗炎症薬は、嚢胞様黄斑浮腫の治療薬として効果があるかどうかは不透明ということです。にもかかわらず、予防薬としては明確な効果があるということは有り得るのでしょうか。

角膜上皮損傷の修復が遅れる
 抗生物質やステロイド性抗炎症薬には重大な副作用がありますが、非ステロイド性抗炎症薬にも副作用があります。ニッテン(ジクロフェナックナトリウム)の説明書には、次のような記載があります。
【 使用上の注意 】
1.慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)
点状表層角膜症のある患者[角膜びらん、さらに角膜潰瘍、角膜穿孔へと進行するおそれがある。]
2.重要な基本的注意
眼の感染症を不顕性化するおそれがあるので、観察を十分に行い、感染を起こした場合は投与を中止すること。
 また、順天堂大学のグループによる次のような研究もあります(角膜上皮障害の修復メカニズムを解明)。
順天堂大学大学院医学研究科 生化学・細胞機能制御学の横溝岳彦教授と、眼科学の岩本怜助教、松田彰准教授らの研究グループは、生理活性脂質12-HHT(*1)とその受容体BLT2(*2)を介した角膜上皮損傷の修復メカニズムの解明に成功しました。白内障術後などに処方される非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDs(*3))を含む点眼薬によって12-HHT産生が抑制される結果、角膜上皮損傷の修復が遅れることを見いだしました。さらに、BLT2作動薬が角膜上皮障害の修復を促進することを発見しました。これらの結果は、難治性角膜上皮障害の新規治療法の開発につながる成果です。本研究は、英科学雑誌Scientific Reports電子版(2017年10月16日)に発表されました。
 白内障手術では、角膜に切れ目を入れます。角膜上皮は、細菌の侵入から組織を守るバリアとして働きますから、速やかに修復する必要があります。ところが、非ステロイド性抗炎症薬は、角膜上皮の修復を妨げ、さらに炎症を抑えるため感染に気づきにくくなるという弊害も生じさせます。異変に気づかず漫然と点眼を続けることは、二重の危険性を孕んでいるともいえます。

 術後点眼が本当に3ヶ月も必要なのか、という疑問から検討を続けてきましたが、そもそも術後点眼が本当に必要なのか、その効果と弊害について個々の臨床医が自ら十分に検証した上で行っているのかについて、懸念さえ生じて来ました。